気になる先人の足跡をたどる。

歴史に残る偉業を成し遂げたわけではないので誰も知りません。

気になる先人の足跡をたどる。 イメージ画像

更新情報

二人の叔父は何かと長左衛門の力になってくれたようです。二人が良き人っだったからに違いありませんが、理由のひとつとして長左衛門の背後で常に清内が目を光らせていたからではないかと思います。長左衛門が藩で馬医見習いの職務に就くことになり、江戸へと旅立ったその2ヶ

直三郎は長左衛門の弟です。森忠太の養子となりました。ふと思ったのですけど、なぜ直三郎まで二人の叔父の世話になったというのでしょう。養子に出されたのなら養家が養育してくれるのではないでしょうか。小さい頃に養子に出されたはずですから養家に馴染んでいると思うの

『兄弟トモ 山﨑 山岡 二氏ノ恩護ヲ受ケル事  実ニ 十一年、将ニ少年ヨリ壮年ニ至ル』長左衛門は二人の叔父に対して感謝の念を抱いています。山﨑幸之助と山岡直清の二人の叔父が、父親代わりだったのですね。長左衛門だけでなく、森忠太の養子となっていた弟・直三郎も

清内の次女・お咲の夫。長左衛門にっとっては義理の叔父にあたります。次郎吉が逝去したおり、新太郎(長左衛門・幼名)は家督を継ぐには幼すぎ、邸地を奉還せざるを得ませんでした。長左衛門が成長し、再び門戸を張る際には山岡直清の尽力の甲斐あって、跡目相続禄百二十石

清内の次女・お咲は山岡直清の妻となっていました。長左衛門にっとっては亡父の妹、叔母にあたります。お咲の夫・山岡直清は長左衛門のために力を尽くしてくれました。お咲が陰で夫に働きかけていたに違いありません。幸之助と同様亡き兄の意志を遂げるため、奮闘してくださ

幸之助宅には嫡男・五三郎がいました。新太郎(長左衛門・幼名)の従兄弟にあたります。五三郎の存在は新太郎(長左衛門・幼名)を和ませたと思います。ですが『幼童ニシテ 双親ト死スルノ不幸之レヨリ大ナルハナシ』と後に長左衛門が記す通り、いくら叔父宅で良くしてもらっ

亡き兄の意志と考えたからでしょうか。自身に繋がる先祖代々への敬愛の念からでしょうか。幸之助は生家存続が自らに課せられた大業とばかり奮闘してくださったようです。幸之助の擁護のもと、新太郎(長左衛門・幼名)は藩校・有造館で学問はもとより、柔・釼・馬を習得しま

清内の三男・幸之助は、次郎吉逝去の時既に山﨑六左衛門の養子となっていました。長左衛門にっとっては亡父の弟、叔父にあたります。清内の計らいで長左衛門は幸之介宅に同居することになりました。

長左衛門の祖父です。子供は次郎吉をはじめ3男2女を授かりましたが、成人するまで育った子は次郎吉を含む2男1女です。次郎吉が亡くなった時、清内は既に隠居していました。長左衛門にとって不幸中の幸いだったのは、この清内が健在だったことです。

長左衛門の父です。34歳のとき、妻を亡くしました。 本人も35歳という若さで亡くなりました。子供は長左衛門をはじめ3人の男の子を授かりましたが、成人するまで育った子は長左衛門を含めて2人です。長左衛門、8歳から9歳のわずかの期間に次弟・母・父を亡くす不幸

↑このページのトップヘ